【iRONNA発】金正男氏暗殺 すべてはクーデター情報から始まった

 なぜこのタイミングだったのか。北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男(ジョンナム)氏がマレーシアの空港で殺害された。実行犯の素性や動機、背後関係に至るまでいまだ謎は多いが、これまでも正男氏は暗殺の危機にさらされていたという。暗殺計画の内幕に迫る。

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 北朝鮮の故金正日(ジョンイル)総書記の長男、金正男氏はシンガポール滞在時、私のゼミの学生の父親が借りた高級マンションの隣に住んでいた。若い女性と一緒にいる姿がよくエレベーターで目撃されたが、同じ場所に長くは滞在せず、3カ月か半年おきに部屋を変えていたとされる。暗殺の危険は、本人も承知だったのである。

 では、なぜこの時期だったのか。中国に伝えられた情報では、きっかけは昨年7月、駐英北朝鮮公使が家族全員で韓国に亡命したことだったという。北朝鮮外交官は、家族のうち少なくとも1人は、人質として平壌にとどめ置かれる。ところが、駐英公使は「人質」の子供を、平壌からロンドンに出国させた。

 「人質の出国」は、金元弘(ウォンホン)国家保衛相の許可なしには不可能だ。数十万ドルの賄賂を手渡し、ロンドンの北朝鮮大使館で外交官を監視する秘密警察高官にも10万ドル単位の賄賂が手渡された。こうして秘密警察の警戒を解いた。資金の一部は、韓国の情報機関から提供されたと、金正恩に報告された。

 これを受け、海外の秘密警察要員に帰国命令が出されたが、半数が帰国せず逃亡した。帰国すれば、処刑される。逃げるしかない。さらに驚愕(きょうがく)すべき報告が届いた。海外に派遣した秘密警察要員だけではなく、正男氏も韓国情報機関と接触していたという情報だった。

 これは、真実かニセ情報かは定かではない。指導者の信頼を失った秘密警察が、指導者に取り入るために報告したのかもしれない。いずれにせよ、この報告が金正男暗殺の引き金になった。

 正男氏を暗殺すれば、金正恩は指導者としての「正統性」を失う。儒教文化の社会で偉大な父親の息子を殺すのは許されない。儒教の価値観では、目上の実兄を殺してはいけない。本当に殺すだけの理由があったのか。

 ◆金正恩の秘密

 まず考えられるのは、中国が正男氏を立てて金正恩を追い落とそうとする計画の存在だろう。これに北朝鮮国内の勢力が呼応したら終わりだ。米韓の情報機関は、金正恩がこれまで数回、暗殺未遂に直面した事実を確認している。

 第2に、金正恩が警戒するのは、出生の秘密や後継者決定過程の機密だ。金正恩の母親が在日出身であったのは、日本では公知の事実だが北朝鮮では口にすれば拘束される。また、正男氏は「父親は3代世襲に反対だった」と公言した。後継者が決まった秘密を知っていたのである。

 第3に、北朝鮮の秘密警察、国家保衛省のトップ金元弘が逮捕更迭された事件だ。国家保衛省は信頼回復のため「正男が米韓の情報機関と接触し、亡命しようとしている」との報告を上げたとされる。

 第4に、正男氏は処刑された叔父の張成沢(チャン・ソンテク)氏と親しかった。北朝鮮では今もなお張氏関係者の逮捕や追放、処刑が続いている。この関係で、何らかのクーデター計画が報告された可能性もある。

 ◆崩壊の現実味

 金正男暗殺で、北朝鮮は最も厳しい制裁に直面する。事実が確認されれば、マレーシアは北朝鮮と外交関係を断絶せざるを得なくなる。中国は「暗殺するな」と警告していたから、その怒りは激しい。国連の制裁決議で、石油禁輸に同意するかもしれない。

 北朝鮮は、石油が一滴も出ない。しかも、外貨がなく年間わずか50万トン程度しか輸入できない。これが全面ストップすると、北朝鮮の軍隊は崩壊する。中国はこれまで石油禁輸に反対し、ロシアは賛成しなかった。しかし、トランプ米大統領の登場と安倍晋三首相の外交で、プーチン大統領は同意するだろう。そうなると、中国だけが最後まで拒否するのは難しい。

 米国もまた北朝鮮への「テロ支援国家」指定を再開するだろう。トランプ政権は、金正恩を本気で追いつめる意向をみせている。北朝鮮の崩壊は、これまでより現実味を帯びてきた。(重村智計氏)

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【プロフィル】重村智計

 しげむら・としみつ 早稲田大名誉教授。昭和20年、中国・遼寧省生まれ。毎日新聞記者としてソウル特派員、ワシントン特派員、論説委員などを歴任。朝鮮半島情勢や米国のアジア政策を専門に研究している。著書に『外交敗北』(講談社)、『激動!! 北朝鮮・韓国そして日本』(実業之日本社)など多数。

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