【主張】裁判員判決の破棄 国民感覚との距離埋めよ

 裁判員裁判で下された死刑判決が上級審で無期懲役に減刑されるケースが続いている。

 裁判員制度の導入に際しては、職業裁判官だけによる判断は、国民の良識や常識に照らして乖離(かいり)していないか、との反省が込められていたはずである。国民視点の反映という観点が軽視されてはいないか。

 大阪・心斎橋の路上で起きた通り魔事件(2人死亡)で大阪高裁は、大阪地裁の裁判員裁判による死刑判決を破棄した。

 神戸市長田区の小1女児殺害事件でも大阪高裁は1審の裁判員裁判による死刑判決を破棄した。

 心斎橋の事件では「計画性の低さ」が減刑の理由とされた。では衝動的な殺人は社会が一定程度、許容しなければならないのか。

 この事件では犯罪被害者支援に取り組む弁護士が「誰でも差し支えないという強固な意志で人を殺していく以上、生命侵害の危険性は計画殺人と同等か、それ以上に高い」と指摘し、「裁判員裁判の否定」であるとして大阪高検に上告するよう申し入れた。

 国民の常識にかんがみ、妥当な指摘である。

 神戸の事件では、被害者が1人だったことが減刑の主な要因となった。殺害された被害者が1人の場合、原則として死刑を回避するなどの判断は、昭和58年に最高裁が示した「永山基準」に基づくものとされる。

 平成27年2月、最高裁は裁判員裁判の死刑判決を破棄した2件の高裁判決を支持した。いずれも被害者が1人であることなどが減刑の理由とされ、「判例の集積からうかがわれる検討結果を量刑を決める共通認識とし、それを出発点として評議を進めるべきだ」とする補足意見があった。

 神戸の事件もこれに沿った判断だろう。だが、判例の集積が量刑を決めるなら、裁判員による真剣な評議はいらない。

 被害者が1人の事件でも、多くの裁判員は先例を承知しながら、殺害の動機や犯行態様を考慮し、自身の全人格をかけて死刑判決を選択してきた。

 その事実を司法関係者は重く受け止めてほしい。特に性犯罪事件では、裁判員の判断がより厳しくなる傾向が指摘されている。

 そうした「国民の感覚」と「先例」の距離を埋める努力こそ求められているのではないか。

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