【主張】山の日 臆病も勇気のうちである

 2回目の「山の日」を迎えた。国土の約7割を広い意味での山が占めるわが国では、どの場所にあっても山を身近に感じる機会が多い。

 山笑う、山滴る、山粧(よそ)う、山眠る。これら春夏秋冬の季語に表象されているように、日本の山の景観は季節ごとに多彩に変化し、自然は常に新鮮な驚きをもたらしてくれる。

 「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」と定めた祝日法の趣旨は、山の豊かな自然を再認識することでもあろうか。

 山に登れば森林の匂いや珍しい動植物、頂上や尾根からの眺望など、自然が用意したさまざまな驚異に出合うことができる。一方で「驚異」は、往々にして「脅威」にもなることを断じて忘れるわけにはいかない。山の魅力は、登山者の安全が確保されてはじめて享受できるものに違いない。

 昨年は全国で2495件の山岳遭難が発生し、遭難者は2929人に上った。いずれも統計の残る昭和36年以降では一昨年に次ぐ高い数値で、このうち死者・行方不明者は319人にも及ぶ。

 最近では、自らの体力や技術に合ったルートが選べるよう、山や登山道の難易度を自治体が示すなど、遭難防止を目指す動きが活発だ。スマートフォンで位置情報を送信できるアプリケーションもある。だが、どれだけ対策を施そうとも、自然は「絶対安全」のお墨付きを与えはしない。

 今年3月、栃木県那須町のスキー場で高校生ら8人が雪崩により犠牲となった。雪崩注意報が出て登山は中止しながらも、ラッセル訓練を続けたとされる。どうして「撤退」を決断しなかったのかと、今も無念でならない。

 忍耐力の増強を図り、恐怖を克服するのも確かに修練の一つであり、必要以上に恐れるのは決して賢明とは言えないが、登山の何よりの喜びは無事に登頂し、無事に下山することにあるはずだ。

 司馬遼太郎の歴史小説『夏草の賦(ふ)』には、「臆病者こそ智者(ちしゃ)の証拠」「智恵がある者でなければ臆病にならない」といった言葉が出てくる。格言にも「大勇は怯(きょう)なるがごとし」とあり、真の勇者は(みだりに人と争わないから)臆病に見えると教えている。

 知恵を働かせることによって見えない危険を想像し、臆病になることも登山者の心得であると、深く銘記したい。

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