【甘口辛口】中日・星野青年監督が放った「初手」は球界に衝撃 担当記者との絆も

 ■1月7日 プロ野球の球団担当記者は、退任しようがどうしようがその時の監督をずっと「監督」と呼び続ける。小欄にとって故仰木彬さんがそうだ。姿も、声も、生涯忘れることはない。その仰木さんからこの言葉を聞いたのは、オリックス監督1年目だったか。「プロ野球の新監督で一番大事なのはな、即効性や」

 仰木さんが考えたのは注目度を上げること。節分に鬼の面をかぶった担当記者に馬乗りになって豆をまく。阪神を自由契約になった岡田彰布内野手を迎え入れ、イチロー、パンチ両外野手をカタカナ登録で売り出す。地味な球団を少しでも大きく取り上げてもらおうと知恵を絞り、記者も必死にデスクと交渉した。

 亡くなった星野仙一さんは1986年オフに中日監督となった際、チーム改革の第一歩として、生え抜きのリリーフエースだった牛島和彦投手ら4人との大型トレードでロッテから2年連続三冠王の落合博満内野手を獲得した。青年監督が放った「初手」は球界に衝撃を与え、オフの話題を独占した。

 「就任2カ月で、(落合の)巨人入りが決まりかけていたのを政界の伝手をたどってロッテに働きかけ、ひっくり返した。まだ39歳の男がですよ」(当時の担当記者だった田野村嘉教・レース本部企画委員)

 仰木さんも星野さんも大震災の被災地にペナントをもたらし、イチロー、マー君という世界のスーパースターを育て、同じ70歳で逝った。その1人を担当できた巡り合わせに、今も胸が震える。星野さんは最近、監督1年目の担当記者を集めて食事会をしたがっていたそうだ。記者との絆。監督もそれを感じていてくれたのなら、こんなにうれしいことはない。 (親谷誠司)

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