【主張】成人の日 「誰か」ではなく「自分」が

 大人の仲間入りをした「はたち」の皆さんにまずは、「成人の日おめでとう」とお祝いを申し上げたい。その上で改めて問うてみたい。大人と子供とは何歳で区別されるのだろうか、と。

 成人の日について祝日法は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」と示すだけで、必ずしも20歳とは規定していない。

 実際に今、成人年齢は大きく変わろうとしている。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられたのに合わせ、民法なども18歳に改めるべく、政府は改正案や関連法案の準備を進めている。

 そこで忘れないでほしいのは、法律上の成人年齢であるからといって一人前の大人といえるわけではないということだ。祝日法が示すように、大人の自覚があるかどうかが重要なのだ。

 大人の自覚とは何か。これにはさまざまな見方があろうが、考える一つの糸口として「想い出がいっぱい」という歌を紹介したい。CMソングでもよく知られる「大人の階段昇る」の一節のあと、詞は「君はまだシンデレラさ しあわせは誰かがきっと 運んでくれると信じてるね」と続く。

 誰かが幸せにしてくれるのを待ち続ける姿勢は「シンデレラ症候群」とも呼ばれるが、ここには大人の自覚は見られない。自らの人生は自らの力で切り開くと決意することこそ、大人の階段を昇る第一歩なのではなかろうか。

 さらにいえば、自らの力を周りの人や社会にも及ぼしていくことの大切さを知るのも、大人には不可欠の要件に違いなかろう。

 厚生労働省や日本赤十字社などが展開している「はたちの献血」キャンペーンは、献血者が減少しがちなこの季節に向け、「はたち」となった新成人を中心に、広く国民に献血への理解と協力を呼びかける活動である。今年のキャンペーンのキャッチフレーズには「誰かじゃない 自分が動く はたちの献血」が選ばれた。

 周囲の大人に守られ助けられてきた子供の頃とは違い、成人の日を迎えた皆さんには、積極的に社会に関わり、たとえ微力であっても自らの力で社会に貢献していく役割と気概が求められている。

 「誰か」ではなく、「自分」が動くことで救える命もあることに気づく。ぜひとも、そんな「はたち」であってほしい。

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