【産経抄】2月11日

 作詞家の西條八十は若い頃、東京・兜町に入り浸ったことがある。実業家の父がなした財は道楽者の兄に蕩尽(とうじん)された。自身は詩で身を立てたかったが、暮らしのために、家財を質入れして得た3千円で株を買った。

 ▼世は第一次世界大戦による好景気、含み益は30万円に膨らんだ。銀座の一等地が、1坪数百円という大正期の話である。「僕の野心はせめて五十万円儲(もう)けて」(『私の履歴書』)と売り抜けをためらったが最後、終戦で暴落した。わずか30円が手元に残ったらしい。

 ▼小紙の株式欄には、「昨年来安値」を示す青色の表示が目立つ。米国の急激な長期金利上昇を引き金に、ニューヨーク株式市場が急落した。日本の株安は、その余波である。世界同時株安となった31年前の「ブラックマンデー」と結びつける報道は、穏やかでない。

 ▼株価の一時的な調整局面、あるいは世界経済変調の前触れとみる解説もあるが、景気の回復局面が戦後2番目の長さになったとのニュースは、ほんの3カ月前である。好景気と聞いて「どうも実感が」とぼやくことの多い身は、先の読めぬ変転に黙り込むほかない。

 ▼市場が乱高下する仮想通貨の世界では、含み益が1億円を超えた長者を「億り人」と呼ぶという。実体のない貨幣に有り金のすべてをつぎ込み、狂喜と落胆を重ねる人も多い。バブル崩壊に懲りたはずの日本に、「のど元過ぎれば」のムードが漂うのは気にかかる。

 ▼西條は残った30円で辞書を買った。そこから多くの詩や歌詞が生まれたことを思えば、何が幸いするか分からない。投機に無縁の小欄は時節柄、カネより金のメダルに心ひかれる。五輪で勇躍する日本勢に、胸を躍らす健全な2週間になればいい。果報はテレビの前で待つとする。

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