【主張】東日本大震災7年 「未来の命」をしかと守れ

 ■教訓を語り継ぐのが大切だ

 春の柔らかな日差しを待ちわびる海や川、町があり、そこで暮らす人々のいつも通りの生活があった。そんな日常があの日、激しい揺れと大津波で一瞬に非日常へと引きずり込まれた。死者・行方不明者は1万8434人に上る。

 東日本大震災から7年がたった。どれだけ時を刻もうとも、「3・11」が鎮魂の日であり、大切な肉親を失った遺族の悲しみや、いまなお生活再建への足がかりをつかめていない被災者の苦しみに、改めて思いを寄せる日でもあることに変わりはない。

 ≪生まれてくる人たちに≫

 一方で、震災の記憶の風化を懸念する声が起きている。

 地域によって違いはあるものの、港湾の整備や復興住宅の建設など復興が目に見えてきたところは多い。だがそれは同時に、震災の痕跡が見えにくくなり、記憶が薄らぐことにもつながる。

 復興が一面で記憶の風化を促す。これが現実なのだとしたら、この現実をどう乗り越え、震災の記憶と教訓をいかに伝えていくかが、被災地のみならず、自然災害が多発する日本全体にとっても極めて重要な課題となる。

 町民の8%以上が犠牲となった宮城県女川町で、女川中学校の卒業生が在校時から進めている「女川いのちの石碑」づくりに注目したい。町内21カ所の津波到達点近くに各1基の石碑を建てる計画で、5年前に校内に1基目を建てて以来、設置は既に16基を数える。1千万円の費用も生徒自らが集め、地域の絆が後押しした。

 碑の中央には「千年後の命を守るために」とあり、碑文も彼らが話し合って作った。「これから生まれてくる人たちに、あの悲しみ、あの苦しみを、再びあわせたくない」「ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないで」「大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げて」…。

 各碑には「夢だけは 壊せなかった 大震災」「見上げれば がれきの上に こいのぼり」など、卒業生が中学時代に詠んだ俳句が1句ずつ添えられた。一部の句は中学用の国語教科書(光村図書)でも紹介されている。

 悲しみの中で生徒らは上を向き、千年後の「未来の命」を守ろうと立ち上がったのだ。

 碑を移動させないで、石碑よりも上へ逃げてと、津波にまつわる教訓を簡潔かつ的確に訴えたのも歴史を顧みてのことだ。三陸沿岸部は過去に何度も津波被害に遭い、先人らはその脅威を後世に伝えるべく津波到達点に碑を残した。しかし後の開発で撤去された碑があり、文字が薄れて読めないものも多数あったと思われる。

 先人が伝えたかった教訓がもし、沿岸部の全ての人に確実に伝わっていたなら、そしてあのとき、より高い所へ逃げるという要諦が一人残らず意識に上っていたなら、今回の津波は「想定外」などとは呼ばれなかったろう。

 ≪いまこそ「言葉の力」で≫

 もうこれ以上、悲劇を繰り返してはならない。大震災のつらい経験から得た教訓を、今度こそ風化させずに語り継ぐことが、未来の命を救うことになる。今後の復興事業や防災対策、風評の払拭にも寄与するはずである。

 被災地では、被災者でなければ語れない実態を広く伝えようと、「語り部」として活動する人が増えている。いまこそ「言葉の力」が求められている。

 阪神大震災から23年となった今年1月17日、神戸市中央区の追悼行事の会場には、「1995」「1・17」とともに「伝」の文字が竹灯籠の灯で浮かび上がった。若者世代の大半が震災を体験していないこの地では、「伝える」ことが強く叫ばれている。

 ただ、伝える人がいても、その言葉に真摯(しんし)に耳を傾ける人がいなければ、どんな教訓も正しく伝わらない。「語り部タクシー」を運転する宮城県石巻市の男性は「最近は被災地の案内を請う乗客がめっきり減った」と話した。

 震災は遠くの出来事でも人ごとでもない。風化の阻止は全ての国民がまず、被災地の声に向き合うことから始まるのではないか。

 女川中学校の卒業生らの「夢」はいま、さらに大きく膨らんでいる。命の大切さを伝える取り組みを全国に広げたいという。東日本大震災の被災地に生まれた夢が全国津々浦々で実を結ぶとき、日本はいまよりもっと災害に強い国になっているに違いない。

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