【主張】平成の事件 オウムの反省を忘れるな 安全を守る決意で法整備を

 平成時代の事件で特異なものは、やはりオウム真理教の一連の事件だろう。

 7年3月20日、朝の通勤時間帯の都心で、オウム真理教の信者らが官庁街の霞ケ関駅を通る地下鉄3路線に猛毒のサリンを散布し、13人が死亡、約6300人が負傷した。前年の6月には長野県松本市でサリンが散布され、8人が死亡した。世界で初の化学兵器を使用した凶悪な無差別大量殺人テロである。

 元年11月には、教団の活動を批判していた坂本堤弁護士ら家族3人が横浜市の自宅で殺害された。事件当初からオウムの犯行が疑われたが摘発に至らず、彼らは数々の事件を経て、地下鉄サリン事件を起こした。教団に捜査のメスを入れる機会は何度もあったのに、これを逃し続けた結果である。

 死刑判決が確定した元教祖の麻原彰晃死刑囚=本名・松本智津夫=ら13人の死刑がすでに執行された。だが、これで事件が終わったわけではない。

 確定判決は一連の事件の動機を麻原元死刑囚が「救済の名の下に日本国を支配して自らその王となることを空想。その妨げになる者をポア(殺害)しようとした」と認定した。

 国家転覆を図った残虐な集団の後継団体が今も存続し、麻原元死刑囚への帰依を鮮明にしているとされる。これを許容する国のありようは異常である。

 教団の解散を目指した破壊活動防止法の適用は、識者からなる公安審査委員会が請求を棄却した。11年に新設した団体規制法は解散命令を出すことさえできない。

 日本は依然、テロ集団に弱い国である。

 国際社会でも、米中枢同時テロや過激組織「イスラム国(IS)」による無差別テロが頻発した。テロとの対峙(たいじ)には国際社会との連携が不可欠だが、国連が採択した国際組織犯罪防止条約の批准を目指した共謀罪法案は3度も廃案とされた。

 名を変え、内容を厳格化したテロ等準備罪の新設で、ようやく29年7月に条約締結を果たした。世界で188番目の、遅すぎた締結である。国内法の不備が日本をテロに弱い国に押しとどめていたのである。

 ≪身近な犯罪の深刻化も≫

 法整備が実社会の課題に追いつかないのは、身近な犯罪でも同様である。

 児童虐待や家庭内暴力、いじめ、ストーカーなど、かつては民事不介入を理由に警察が扱う事案ではないとされた。だが、罪のないいくつもの命が失われる深刻な事態を受け、これらを明確に事件化する新法の創設や法改正が相次いだ。それでも不備は解消されていない。

 ストーカー規制法を例にあげれば、同法は「桶川ストーカー殺人事件」をきっかけに成立した。だが電子メールの普及を想定していなかったため、メールによるつきまとい行為に警察が対応できず、「逗子ストーカー殺人」を防げなかった。

 法改正で条文に「電子メール」が加えられたが、ツイッターやSNSの明記はなく、さらなる悲惨な事件を招いた。

 被害者を助けるための条文が捜査の足かせとなった典型的な悪例である。

 同様に、「児童虐待防止法」や「いじめ防止対策推進法」なども深刻な事件が起きる度に改正を繰り返しているが、泥縄の印象は拭えない。犠牲者が出なければ法改正ができない現状は立法府の不作為と映る。

 ≪飲酒運転の追放に学べ≫

 新法の創設や厳罰化が社会を変えた好例もある。

 危険運転致死傷罪は飲酒運転事故の被害者らによる署名運動を受けて13年に施行された。これ以降、飲酒運転による死亡事故や飲酒事故件数は、おおむね減少傾向にある。

 悲惨な事故に対する社会の怒りが新法による厳罰化を後押しした。同時に飲酒運転を許さない意識改革、環境づくりが社会全体で進められた。

 「飲んだら乗るな」は今や常識だが、平成の初期には「少しぐらい」の甘えがなかったか。社会は変えられる。法整備はその一助となる。

 法や刑罰の設定は国民や社会の安全を守る国の決意、意思表明であると認識してほしい。

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