ベルリンの壁崩壊、日本人も“一役”!?

 米ソ中心の東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」の30年前の崩壊に、日本人が図らずも“一役”買ったとすれば驚きだ。当時、ソ連勢力下のハンガリーで首相だったネーメト・ミクローシュ氏(71)が興味深い逸話をしてくれた。

 ネーメト氏は1989年春、隣国オーストリアとの国境の鉄条網を撤去。その後、ハンガリー経由で西欧への脱出を目指し、流入した東ドイツ(当時)市民にオーストリア国境を開放した。これを機に東独で市民の流出が加速し、デモも激化。ベルリンの壁が崩壊した。

 鉄条網撤去の最大の理由は維持管理の財政負担軽減だ。ただ、ネーメト氏は別の重要な理由に、オーストリアと当時、国際的な博覧会共催を計画していたことを挙げた。東西に分断された世界の「懸け橋」としてアピールするためだ。

 鉄条網をめぐる議論でネーメト氏は博覧会に来るアジアの訪問客を取り上げ、日本人は「カメラを肩から下げ、あらゆるものを撮影する」「彼らはオーストリア経由でハンガリーに入るが、最初に目にするのが鉄条網。印象が悪い」と、撤去を主張したという。

 その時代、日本人観光客といえば、常にカメラを首にぶら下げるなど、揶揄(やゆ)するようなイメージが確かに広がっていた。それが歴史的に重大な決定を後押ししていたとは…。(宮下日出男「ベルリン物語」)

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