【主張】令和の大嘗祭 陛下の祈りは国民と共に 日本の公事と位置づけよう

 天皇陛下は、14、15日の両日、皇位継承に伴う祭儀のうち最も重要な大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」を執り行われる。

 東京の空に虹がかかった「即位礼正殿の儀」や、雲一つない晴天のもと、沿道の11万9千人が祝福したパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」は、国の内外に即位を披露される盛儀となった。

 パレード前日には皇居前広場でご即位をお祝いする国民祭典も開かれた。天皇、皇后両陛下のお出ましがあり、皇后陛下が涙を拭われる一幕があった。

 いずれも、天皇陛下と国民が温かい絆で結ばれている姿を示すものとして美しい光景だった。

 ≪安寧と五穀豊穣を願う≫

 一方で大嘗祭は、「祈り」を伴う皇位継承の祭儀であり、古代から続く日本の祈りの伝統を現代に再現する。

 さまざまな事情で挙行できなかった天皇を「半帝」とお呼びしたこともあるほどで、大嘗祭は最も大切な皇室の祭祀(さいし)(宮中祭祀)と位置付けられている。

 身を清め、純白の祭服姿の天皇陛下が、全国を代表した斎田から今年収穫された米など、さまざまな神饌(しんせん)を天照大御神をはじめとする神々に供え、国家国民の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈られる。神饌を、陛下ご自身も召し上がる。

 毎年11月23日(勤労感謝の日)に宮中で行われる新嘗祭(にいなめさい)を大きな規模で行うものでもある。

 「父君のにひなめまつりしのびつつ 我がおほにへのまつり行なふ」

 上皇陛下が即位後の平成2年に行われた大嘗祭について、詠まれた御製(ぎょせい)である。

 宮中の祭祀にとても熱心でいらした昭和天皇、上皇陛下にならって、天皇陛下が「祈り主」としてのお務めを果たしていかれることはとてもありがたいことだ。

 祈りは天皇の本質的、伝統的役割といえる。

 「国平らかに民やすかれ」と祈る歴代の天皇を国民は敬愛し、支えてきた。天皇と国民が共に歩み、長い歴史を紡いできたのが日本である。

 ところが現代日本の法制度では、国と国民のために祈られる天皇の祭祀がきちんと位置付けられていないという問題がある。

 大嘗祭について政府は、即位に伴う一世一度の重要な儀式であるとして皇室の公的行事とみなし、宮廷費(国費)を充てている。

 これに対し、宗教色のある大嘗祭は現憲法の政教分離の規定に触れるから皇室の私事と位置づけるべきだという議論が一部に存在している。共産党は、違憲を理由に大嘗祭に参列しない方針だ。

 秋篠宮皇嗣殿下は昨年11月の記者会見で「大嘗祭は皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。それを国費で賄うことが適当かどうか」と述べられた。

 また、毎年の新嘗祭をはじめとする宮中祭祀は、皇室の日常生活などに充てる内廷費から支出されている。そこでこれら祭祀を皇室の私事とみなす向きがある。

 ≪政教分離とは無関係だ≫

 政教分離原則にとらわれるあまり大嘗祭を含む皇室の祭祀を私事とみなすのはよろしくない。天皇の祈りは日本の大切な公事であると位置付けたい。

 現憲法は窮屈な政教分離原則はとっていない。

 そもそも政教分離は宗教戦争に明け暮れた欧州の悲惨な歴史を踏まえ、政治権力と宗教を分離しようとした規定だ。天皇陛下や皇族方は権力者ではなく宗教団体も擁しておられない。神道の形式をとる宮中祭祀を、政治権力と分離すべき一般の宗教と同列視する必要は全くない。

 エリザベス女王は英国国教会の首長だ。米大統領は聖書に手を置いて就任の宣誓をする。フランスも軍艦に礼拝所を設けるなどしている。宗教色を完全に排除しているのは共産主義の国くらいだ。

 憲法を杓子定規(しゃくしじょうぎ)に解釈して天皇の祈りを私事とみなせば、天皇が天皇である所以(ゆえん)の「祈り主」の性格を軽んじることになる。これは、天皇を第1章に戴(いただ)く憲法の精神にも反する。

 天皇は常に祈り主であったという国柄を踏まえて解釈しなくては日本の憲法といえない。天皇の本質を軽んじる、誤った解釈が出てくる憲法はいずれ改正されるべきだ。祈りが天皇の象徴性を支えている点を忘れてはなるまい。

アクセスランキング

もっと見る

ピックアップ