「ビルボードを呼んできたサラリーマン」 北口正人さん

大物ジャズマン、続々招く

 「これで関西にもジャズ文化を広げることができる」。「大阪ブルーノート」は話題を集め、北口さんは運営会社・阪神ブルーノートの取締役に就任、期待に胸を膨らませた。久万社長からは、アーティストの出演交渉から飲食事業、館内の音響、照明など、全てを「直営でやれ」と命じられた。「交渉能力を高めようと英会話教室に通い始めたのですが、本業が忙しくなり…。それどころではなくなりました」

 開業に合わせて招聘した大物アーティストは、米グラミー賞の常連で、ジャズ・ギタリストの中で最も偉大なプレーヤーの一人とされるジョージ・ベンソン。チケットも10日間で完売という人気だった。さらに本場の米ブルーノートの仲介で、情熱的なピアノで不動の人気を誇るタニア・マリア、米最高峰のエンターテイナーと賞されるトニー・ベネット、ジャズ・ギターのレジェンド、ラリー・カールトンらビッグなアーティストを続々と招いた。ところが、ギャラや交通、宿泊費などがかさんで1週間で数百万円から数千万円の赤字が積み上がっていったという。

 久万社長からは「累積赤字が5億円になれば潰せ」と厳命されていたために気が気でなかったが、徐々に大阪圏にもジャズ文化が浸透し、固定客もつくようになって3年目で黒字化に成功。福岡、名古屋でも「ブルーノート」を開業し、鉄道会社の音楽事業が軌道に乗った。

 こうして「ブルーノート」の経営に約10年携わった北口さんだが、次第に「ジャズだけでなく幅広い音楽ファンを取り込めるように、『ブルーノート』のブランドを変えたい」と思うようになっていったという。そこで浮上したのが、音楽業界誌を出版し、知名度の高い音楽チャートとしても権威のある「ビルボード」だった。しかし、ビルボード側にどう接触していいかわからず、顧問弁護士の名でメールを送ってみると…。「では一度お会いしましょうか」という返事が届いたのである。

 交渉は平成13年に始まったが、日本で「ビルボード」を名乗っても構わないというマスターライセンス契約がまとまるのには実に6年を要した。ブルーノートとの契約を解消し、大阪・西梅田の「ビルボードライブ大阪」へと衣替えをしたのが19年のこと。ところが、当時、在阪テレビ局と一緒に実施した認知度調査では、「ビルボード」を知っていると答えた人の比率は僅かに3%だった。「がくぜんとしました」と打ち明ける。それでもジャズ専門だった「ブルーノート」とは異なり、「ビルボード」の看板のもとでは幅広いアーティストが出演する。北口さんのねらい通り、ファン層の裾野がしだいに広がっていった。

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