ジャニー喜多川さん死去…“相馬眼”で次々発掘、ジャニーズ帝国を一代で築く

 たのきんトリオ、SMAP、嵐ら人気男性アイドルを数多く輩出したジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川(本名・喜多川拡=ひろむ)さんが9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で死去した。87歳だった。

 87歳で亡くなったジャニー喜多川さんは、ジャニーズ帝国を一代で築き上げた。学生時代に生まれ故郷の米ロサンゼルスでエンターテインメントの世界に憧れ、日本の芸能界黎明期から歌って踊れる男性アイドルという新ジャンルを確立。スターを発掘する“相馬眼”を持ち、SMAPや嵐ら国民的グループを育成。舞台演出家としても活躍し、日本で生涯現役を貫いてアメリカンドリームを結実させた。

 ジャニーズアイドルという唯一無二のブランドを築いたジャニーさんは生涯現役を貫き、日本のエンターテインメント界に大きな足跡を残した。

 終戦直後、ロサンゼルスに帰国して学生生活を送り、現地のショービジネスに触れ、本場仕込みの歌って踊れるエンターテイナーの育成を目指して男性アイドルという新ジャンルを確立。10代の少女に養成学校で芸事をたたき込む宝塚歌劇団のように、ジャニーズJr.として少年たちに先輩グループの後ろで踊る下積みを経験させ、ユニットメンバーに選抜するシステムを取った。

 当時、短命のアイドルが多かった中、長期をにらんだ育成法は少年らに先輩の背中を見せて刺激を与えるだけでなく、先輩グループ目当てに会場を訪れたファンが新たな“推しメン”を見いだすきっかけも生み出した。現在のAKB48にも通じるアイドルグループ像の礎を作ったといえる。

 コンサート会場や劇場の隅では熱心にタレントをチェック。個性を見抜き、グループ結成時には個々がより輝くようにメンバーを選出してきた。

 少年から大人に成長するまでを見越してスター候補生を発掘する“相馬眼”を持つことでも知られ、SMAP、KinKi Kids、嵐、関ジャニ∞ら多くの人気グループを送り出した。

 嵐の松本潤(35)が小学6年生のとき事務所に履歴書を送った際、ジャニーさんが写真だけで才能を見抜き、直接電話をかけて「レッスンやってるから来ちゃいなよ」と、オーディションなしで事務所入りを決めたエピソードは有名だ。

 舞台演出家としても手腕を発揮し、少年隊の「PLAYZONE」、堂本光一(40)の「SHOCK」などを手掛けた。フォーリーブスの代から続く「少年たち」シリーズは3月に映画版も公開。その仕事ぶりは社長というよりも、プロデューサーだった。

 裏方であることを理由に公の場にほとんど姿を現さなかったが、タレントたちにとっては偉大な芸能界の父。SMAPの分裂騒動を経ての解散、嵐の来年での活動休止、滝沢秀明氏(37)の引退とプロデューサー転身など“息子”たちの一大事には親身になってきた。

 ジャニーさんの哲学は、「SHOCK」の劇中にも登場するフレーズの「ショー・マスト・ゴー・オン(何があってもショーは続けなければならない)」。総帥を失ったジャニーズアイドルたちは岐路に立ったが、その遺志を受け継ぎ、ファンに夢を与え続ける。

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