ジャニー喜多川さん、くも膜下出血で死去…キムタク「ゆっくり休んで」

 たのきんトリオ、SMAP、嵐ら人気男性アイドルを数多く輩出したジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川(本名・喜多川拡=ひろむ)さんが9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で死去した。87歳だった。先月18日午前11時30分頃、東京・渋谷の自宅で体調を崩して倒れ、心肺停止状態で港区内の病院に救急搬送されていた。半世紀以上にわたり日本のエンターテインメント界をリードした巨星が逝った。

 先月18日に病魔に倒れてから21日後、闘病中だった“日本アイドル界の父”がついに力尽きた。

 この日、ジャニーズ事務所はマスコミ各社にFAXを送り、「2019年7月9日午後4時47分、都内病院におきまして、ジャニー喜多川は、永眠いたしました」と発表。「ジャニーは、自身が育てたタレント達を応援してくださるファンの皆様やご支援くださる関係者の皆様に支えていただくことにより、自身の創作活動が成立し、日々、タレントの育成に励むことができていることに、日頃より大変感謝いたしておりました」と故人の気持ちを代弁した。

 ジャニーさんは先月18日午前11時30分頃、東京都内の自宅マンションで倒れ、家政婦の通報で救急搬送された。前日17日には、自宅近くのNHKでジャニーズJr.出演の番組収録を車いす姿で見学していたが、くも膜下出血で意識不明となった。

 今月1日には嵐が会見を行い、松本潤(35)が代表してジャニーさんの病名・入院を発表。昨年末にタレントを引退し、ジャニーさんの後継者とされる滝沢秀明氏(37)は同5日、「今は(回復を)信じています」と願っていた。

 緊急入院後、集中治療室(ICU)で懸命な治療を行い、一般病棟に移ってからは“長男”の近藤真彦(54)や“次男”の東山紀之(52)ら所属タレントが次々と面会に訪れたが、最愛の“子供たち”の愛に包まれながら9日、帰らぬ人に。木村拓哉(46)が一早く反応し、中国版ツイッター「Weibo」で「ジャニーさんは、今日まで走り抜きました。どうかゆっくり休んで」と追悼した。

 米ロサンゼルス生まれのジャニーさんは、1952年に米大使館の通訳助手として来日。62年にあおい輝彦(71)ら4人で音楽グループ、ジャニーズを結成、ジャニーズ事務所を創業した。

 その後、フォーリーブス、郷ひろみ(63)らを輩出して人気を博したが、タレントの移籍や独立が相次ぎ一時低迷。転機となったのは79年。TBS系ドラマ「3年B組金八先生」に生徒役で出演した田原俊彦(58)、野村義男(54)、近藤でたのきんトリオを結成し、ジャニーズ人気が再燃した。

 以降、光GENJI、SMAPらを世に送り出し、男性アイドル人気を独占。平成に入ってからも嵐、関ジャニ∞らを次々とデビューさせ、スターダムにのし上げた。

 創業当時から事務所経営などマネジメント業務は姉の藤島メリー泰子副社長(92)に任せ、プロデュース業に専念。2011年にはギネスブックに「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」などで認定された。表舞台に出ることを嫌っていたが、このときだけはサングラスに帽子をかぶった姿を披露して話題になった。

 生涯独身を貫いたジャニーさん。今年からJr.のプロデュース・育成を滝沢氏に継承。社長業はメリー氏の娘、藤島ジュリー景子副社長(52)が引き継ぐとみられる。

★事務所など静かに

 ジャニーさんの訃報を受け、東京都内のジャニーズ事務所、ジャニーさんが入院していたとみられる病院には、テレビカメラのクルーら多くの報道陣が駆け付けた。いずれも関係者や所属タレントとみられる人の出入りはなく、静まり返っていた。

★通夜・告別式

 ジャニーズ事務所は、「ジャニーの子供でございますタレント達とJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきます」とした。後日、お別れの会などを予定している。

■ジャニー喜多川(じゃにー・きたがわ)

 本名・喜多川拡(ひろむ)。1931(昭和6)年10月23日生まれ、87歳。米ロサンゼルス出身。62年にジャニーズ事務所を創業し、少年隊、SMAP、嵐ら人気グループを輩出。69年に舞台として初演、今年3月に映画化された「少年たち」の作・構成・演出を担当した。永年のショービジネスに対する多大な情熱と功績が評価され、2002年度の菊田一夫演劇賞・特別賞を受賞。12年の「チャート1位を獲得した歌手を最も多くプロデュースした人物」など、3つのギネス世界記録に認定された。

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