あおい輝彦が独占手記、ジャニーさん死去に「兄貴を亡くした気持ち」

 ジャニー喜多川さんに発掘され、時代のスターとなった元アイドルの面々も悲しみに暮れた。ジャニーズ事務所の第1号タレント、ジャニーズの初代メンバーで、同グループの“名付け親”でもある俳優、あおい輝彦(71)はサンケイスポーツに独占手記を寄せた。芸能界入りを反対した父を説得したジャニーさんの言葉など大切な思い出を振り返り、「兄貴を亡くした気持ち」と声を落とした。

 9日の夜、マネジャーから「ジャニーさんが亡くなられた」と知らされました。中学3年の頃に出会いましたから兄貴が亡くなった気持ちです。

 最後にお会いしたのは昨年8月、A.B.C-Zの舞台の製作発表。いつも昔の話を聞かせてくれました。

 2、3年前の帝国劇場の貴賓室で「ジャニーズって名付けたのはあおい君だよ。名付け親なんだよ」といってくれて。

 驚きました。当時、米国籍のジャニーさんは代々木の在日米軍施設で、僕たちの野球チームの監督をしていました。

 へたくそだったのでチームの名前は「ヘターズ」「エラーズ」とかふざけてて。ただ、練習を頑張っていたら強くなってきまして。僕が「かっこ悪いし、ジャニーさんが監督なんだし、ジャニーズにしましょうよ」っていって、「ジャニーズ」になったというのです。「ヘターズだったら、事務所としても売れなかったよね」って笑っていました。

 父が稽古場に怒鳴り込んできたこともありました。ジャニーさんは「学業はおろそかにさせません。人間修行の場と思ってください」と。父も納得していました。

 学校を終えると待ち合わせの場所へ行って、仲間とジャニーさんの運転するクライスラーのアメ車に乗って、颯爽(さっそう)とテレビ局や劇場入りしたことは忘れられません。

 そうそう、僕らがデビューする直前に、日本テレビ系「味の素ホイホイ・ミュージック・スクール」で木の実ナナさん(73)のバックダンサーとしてシルエットで出演したこともあった。シルエットだから顔も分からないし、まだ男子が踊ることが珍しい時代でしたから「誰だ?」と問い合わせが殺到して、火が付いたんです。

 ジャニーズワールドは立派な巨木に成長しましたが、最初の小さな種になれたことを誇りに思っています。フォーエバージャニーズ! フォーエバージャニーさん!

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