元大洋、ヤクルト監督の関根潤三さん死去 ネットは涙「ノムさんに続いて…」「解説の優しい口調好きだった」

 プロ野球の近鉄と巨人でプレーし、現役引退後は大洋(現DeNA)、ヤクルトで監督を務めた関根潤三さんが9日午前9時45分、老衰のため都内の病院で死去した。93歳だった。1950年の2リーグ分立後、通算1000安打以上と50勝以上をマークしたプロ野球唯一の選手で、解説者としてもお茶の間に親しまれた関根さん。突然の訃報に、ネットで多くのファンが悲しみに暮れた。

 SNSには関根さんを悼む声が相次ぎ、同日、ツイッターで「関根さん」がトレンド入り。「嘘やん…」「うわっ、マジですか」といった驚きの声と、「関根さんまで亡くなってしまって…」「ヤクルトの監督、といえばわたしにとっては関根さんでした。悲しいです」などの悲しみの声が混在する事態となった。2月にヤクルトの監督を務めた野村克也さんが亡くなったことを思い出す燕党も多く、「ノムさんに続いて関根さんまで…」「関根さん…安らかに。大好きでした。野村さんに続いての訃報にPCの画面が歪んで見えません」といったつぶやきも少なくなかった。

 生前、テレビやラジオなどの解説者としても大活躍し、分かりやすく、優しい口調が人気だった。多くのネットユーザーが当時を懐かしみ、SNSには「関根さんの解説好きでした」「解説の優しい口調好きだったなぁ。残念」「関根さんの解説が聞けなくなるのは残念です」「今度は天国にいるたくさんの野球ファンの皆さんに、優しい野球解説をしてくれるのでしょう」といった書き込みも見られた。

 旧制日大三中(現日大三高)から法大へ進み、東京六大学リーグで通算41勝(30敗)を挙げた関根さん。4年生の49年秋には東京六大学選抜の一員として、戦後初の日米野球で来日した3A球団サンフランシスコ・シールズを相手に好投した。

 プロ野球が2リーグに分立した50年、球団創設1年目の近鉄に投手として入団し、通算244試合に登板し65勝94敗、防御率3・42の成績を残した。打力を買われ、野手として試合に出場することもあった。

 投手では、57年に2試合に登板したのを最後に外野手に専念。65年に巨人でプレーした後、現役を引退した。通算打撃成績は打率・279、1137安打、59本塁打、424打点。

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