ゴーン容疑者出廷詳報(4)「日産は大事な、象徴的な会社」

 《日産自動車の前会長、カルロス・ゴーン容疑者(64)の勾留理由開示手続きで、ゴーン容疑者の意見陳述が東京地裁で続く》

 《ゴーン容疑者は平成20年10月、日本円で受け取っていた日産の報酬をドルに換えるため「スワップ取引」と呼ばれる通貨のデリバティブ(金融派生商品)取引を自身の資産管理会社と新生銀行との間で契約。ところが、リーマン・ショックによる円高で評価損が急速に拡大し、銀行側から巨額の追加担保を求められたため、約18億5000万円の評価損を含んだ契約を日産に付け替えたとされる》

 ゴーン容疑者「約20年前、日産に入り、日本に赴任し、米ドルでの報酬を要望しましたが、できないと言われ、日本円で支払う契約を結ばされました。私自身、米ドル建ての生活を基本としていました。子供は米国に住んでいます。レバノンと強い結びつきを持っています」

 《このため、ドルでの収入を得たかったと説明したゴーン容疑者。傍聴席から口元はうかがえないが、はっきりとした声が法廷に響いている》

 ゴーン容疑者「私は日産に入って間もない2002(平成14)年以降、為替スワップ契約を結びました。その後、日産の株価は1400円になりました。ところが08~09年の金融危機で、株価は400円になり、その後250円にまで急落しました。株価はピーク時の80%下落し、ドルも下がりました。これは誰も予想しなかったことです。銀行の仕組みは機能しなくなり、スワップ契約していた銀行は担保を差し入れるよう要求してきましたが、私は応えることができませんでした」

 ゴーン容疑者「私は2つの選択を迫られました。一つは日産を退職して、退職金を受領し、銀行に担保として差し入れることでした。しかし、この重大な局面で退任することはできませんでした。船長が嵐で船から逃げ出すことはできないのです」

 《ゴーン容疑者の声が一層、明瞭になる》

 ゴーン容疑者「もう一つは知人から日産に損失を負わせない限りで担保を要請することです。私は2番を選びました。この間、日産に一切、損害を与えていません」

 《ゴーン容疑者の説明は、サウジアラビアの実業家、ハリド・ジュファリ氏に移る。リーマン・ショックによる損失の拡大で銀行側から約10億円前後の追加担保を求められたゴーン容疑者の窮地を救ったのが、ジュファリ氏だった。ジュファリ氏が約30億円を担保に外資系銀行から信用状を発行したため、ゴーン容疑者は追加担保を免れることができたとされる。ゴーン容疑者には、そのジュファリ氏が経営する会社に平成21~24年、日産子会社「中東日産」(アラブ首長国連邦)から計1470万ドル(現在のレートで約16億円)を入金させた疑いが持たれている》

 ゴーン容疑者「次にハリド氏についてです。長年、日産の支援者であり、パートナーです。ハリド氏の会社は資金調達を支援してくれたし、地元の販売代理店の紛争のときにも支援してくれました。実際、販売代理店を立ち直らせ、トヨタなどの強豪他社に勝てるようにしてくれました。日産に極めて重要な業務を推進してくれたので、関係部署の承認に基づき、対価を支払いました」

 《販売店とのトラブル解決のほか、「ハイレベルな交渉」への協力などもハリド・ジュファリ氏の功績だったと説明。対価の正当性を強調する》

 《ゴーン容疑者は続いて、金融商品取引法違反について言及する。ゴーン容疑者は、側近で前代表取締役のグレゴリー・ケリー被告(62)=金融商品取引法違反罪で起訴=と共謀し、平成22~26年度のゴーン容疑者の報酬を約48億円過少に有価証券報告書に記載したとして、金商法違反容疑で昨年11月19日に逮捕された。さらに27~29年度分についても約42億円過少に記載したとして12月10日に同容疑で再逮捕された》

 ゴーン容疑者「CEO(最高経営責任者)の間、フォードやゼネラルモーターズなど4つの会社から招聘(しょうへい)を受けました。好待遇の条件を申し出てくれましたが、日産を見放すわけにはいきませんでした。日産は私にとって非常に大事な象徴的な会社だからです。会社は移りませんでしたが、私の市場価値、すなわち報酬に記録を付けることにしました。これは法的効力があるものではありませんでした」

 《日産を「象徴的な会社」としたゴーン容疑者。堂々とした背中に傍聴席の視線が注がれている》

=(5)に続く

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