京アニ元社員、古巣への思い 感謝とエール、社長に届け

 日本、そして世界のアニメ界を牽引してきた京都アニメーション。パワーの源泉は「人」であり、その多彩な才能を引っ張ってきたのが、放火殺人事件で被害に遭った方々への対応や会社再建に向けて奔走している八田英明社長だった。約15年前まで京アニで勤務していた徳島県阿南市の男性(41)は「京アニでの経験が今も励みになっている人間がいることを伝えたい」と語り、八田社長やかつての仲間に感謝とエールを送った。(南里咲)

 「簡単には育たない才能が失われてしまった。これだけの人材を育て、環境を整えるのに、どれだけ時間がかかったことか…」。放火で全焼した京都市伏見区の京アニ第1スタジオ。男性は変わり果てた建物を前に、茫然と立ち尽くした。

 平成16年頃まで計約7年間、京アニに所属。うち4年間は東京で、残る3年間は京都府宇治市にある第2スタジオでアニメーターとして過ごしたという。当時は事件現場となった第1スタジオはまだ建てられていなかった。「志の高い人ばかりが集まってくる会社だった。他社ではこなせない量の作画をこなせる人が多かった」と振り返る。

 アニメーターは、ゼロの状態から絵を仕上げる「原画マン」と、原画と原画をつないで動きを加えるための絵を描く「動画マン」に分かれる。動画マンを経て原画マンになるのが基本で、原画の仕事をまかせられるようになるまで早い人で2~3年、普通は5年くらいかかるという。

 「すばらしい才能を持ったベテランが同じ会社に集う環境を改めて整えるのは、本当に難しいと思う」

 京アニの才能豊かな集団を引っ張ってきたのが八田社長だ。男性は「有言実行で、アニメ業界の改革の人」だと評す。

 他社との苛烈な競争で、経費削減を余儀なくされてきたアニメ業界では、作品の質を落としてでもコストカットを優先する風潮が根強い。

 特に競合業者の多い東京では、1社だけの努力や判断では、思うように改革を進めることは難しい。京アニも、元請けの仕事をするようになるまでは、雇用条件は厳しく、社員の入れ替わりの激しい会社だったという。

 そうした中、「八田社長は自分たちのやり方で旧態依然とした業界を京都から打ち崩そうとしてきた」と男性は言う。「アニメのおもしろさを伝えようと赤字覚悟で品質を上げたのが京アニだった」。次第に、質の高い作品が京アニの存在を業界内で際立たせていった。

 「社長にメールを送ろうかとも思ったが、今はかける言葉が見当たらない。ただ、この京都の京アニでの経験が、今も励みになっている人間がいることを伝えたい。今は一ファンの立場だが、何か力になれることがあれば、微力でも応援を続けたい」

 男性は振り絞るように、こう語った。

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