震災後も繰り返す住民の“喪失体験” 旧高田小の解体工事開始

東日本大震災から8年半 忘れない、立ち止まらない

 8月の盆明けから、岩手県陸前高田市の中心部にある小学校の解体工事が始まった。

 津波の最終到達点あたりに位置し、東日本大震災の時には校舎1階まで津波が浸水した高田小学校だ。全壊は免れ、その後も利用されてきたが、校舎の窓から見える範囲のすべてが破壊しつくされ、当時の子どもたちはがれきの間を縫うように通学していた。

 自宅へ戻って津波の犠牲となった児童もおり、保護者も教職員も心身をすり減らしながら、必死で子どもたちのケアにあたってきた。

 そんな学校の新校舎が安全な高台にやっと新築され、この2学期から児童がそちらへ通い始めたことに伴い、旧校舎は取り壊しが決定。跡地はかさ上げされ、市役所の新しい庁舎が整備されることになっている。

 市教育委員会は市民の強い要望を受けて旧校舎との「お別れ会」を企画し、8月13日に学校を一日開放した。この日は朝から在校生とその家族、卒業生、かつて勤務した教職員ら、幅広い世代の人々が絶えず訪れ、恩師や教え子が再会を喜び合ったり、顔なじみを見つけて話に花を咲かせるなど、長い歴史を刻んできた学校ならではの別れの光景が広がった。

 そんな人たちに取材させてもらっていたとき、震災当時に在校生だったという女性の言葉が胸に刺さった。

 「ここで育った私たちの知る景色は震災のあともどんどん消えていったけど、またさらに失うんだな思うと、寂しいですね」

 市内でも被災度合が最も高いこの地区は、震災後の変化も一番大きかった。つまりそれは、住民たちが巨大津波によって住み慣れた土地を失ったあとも、何度かにわたる“喪失体験”を余儀なくされてきたということだ。

 発災から1年半が経過するころから徐々に被災建物の解体が始まり、市街地は次々と更地になっていった。かつての街並みを思い出すよすがが消え、住民はここで二度目の喪失を味わったことになる。

 三度目は、区画整理によって被災跡地が10メートル以上かさ上げされ、昔のまちがついに跡形もなく土の下へと消えたときだ。その上に2年ほど前から新たな市街地が築かれ始め、ようやくその景色にも慣れてきたかな…というころ、また一つ、震災前からあった風景が消えるのだ。

 「『まだ、無くすものがあったのか』って感じですよね」

 大変な思いもしたけれど、やっぱり母校だしね…と、女性は隣にいた同級生に目配せした。

 友人の方もそれにうなずきながら、「でも、今回はこうしてお別れする機会を設けてもらえてよかった。気持ちを切り替えられそうです」と笑い、少し寂しそうに続けた。「津波のときの“お別れ”は、全部、いきなりでしたから」

 前向きに語られた言葉でありながら、そこにあまりにも多くのものをなくしてきた人の諦観のようなものを感じ取り、何も言えなくなった。

 ■鈴木英里(すずき・えり) 1979年、岩手県生まれ。立教大卒。東京の出版社勤務ののち、2007年、大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社に入社。現在は記者として、被害の甚大だった陸前高田市を担当する。

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