妻を助け濁流に 熊本県人吉市の81歳男性

 熊本県南部に大きな被害をもたらした豪雨。同県人吉市下(しも)薩(さつ)摩(ま)瀬(ぜ)町の井上三郎さん(81)は、流されそうになる妻を追って濁流に向かった。近隣住民の協力もあり妻は助かったが、井上さんは犠牲に。「お父さん頑張って」。大雨の中響いた妻の悲痛な叫びは届かなかった。

 「家の中にいたら助かってたかもしれないのに」

 井上さん宅の向かいに住む魚住光二さん(70)の表情には悔しさと無念さがにじむ。

 魚住さんによると、4日午前8時ごろ、近くの用水路から水があふれているのを確認した。「避難しようか」。車での避難も考えたがすでに車庫は浸水。水位は胸の部分まで一気に上昇していた。

 家の中に戻ろうとしたとき、井上さん夫妻が荷物を持って家から出てくるのが見えた。「出てきたら危ない。家におって!」。そう叫んだが、声は激しい雨音にかき消された。

 井上さんの妻が外に一歩踏み出した瞬間、一気に20メートル先まで流されていく。すぐに井上さんが妻を追い、近くの柵につかまりながら妻の体を支えるのが見えた。

 救助を待つわけにはいかない。魚住さんは自宅のビニールひもを取り、鉄柵に巻き付け、2人に投げた。井上さんが妻の手にひもを巻き付け、魚住さんがひもを引っ張って救助した。

 再びひもを投げたが、井上さんはなかなか自分の手に巻けず、柵から手が離れた一瞬で、濁流にのまれた。「旦那を助けて、助けて!」。泣き叫ぶ妻に、駆けつけた近所の男性(56)が「とりあえず逃げなきゃ」と言い聞かせ、男性宅の2階まで避難させた。

 井上さんは優しく温和な人柄で、地域の清掃などにも率先して取り組み、近隣住民からの信頼も厚かった。家庭菜園でできたトマトやキュウリを魚住さんにお裾分けしてくれることもあった。

 何をするにも、どこに行くにも一緒だった夫婦。魚住さんは「愛妻家で、2人で仲良く肩を並べて歩く姿が印象的だった」と話す。

 一命を取り留めた妻は、魚住さんに泣きながらこうつぶやいたという。

 「最期まで私を守ってくれた。日本で一番優しい自慢の主人だった」

(木下未希)

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