家族の手紙 硫黄島へ 戦後72年 パイロットが語る 米機弾丸避け決死の飛行

 第二次大戦で激戦地となった硫黄島に、兵士たちの家族の手紙を届けていた元海軍パイロットの男性が、戦後72年を機に、当時の様子や鎮魂への思いを初めて語った。元海軍中尉で一式陸上攻撃機(一式陸攻)パイロットの田中修さん(94)=滋賀県草津市在住。当時の様子は、陸軍の指揮官、栗林忠道中将と東京の家族との手紙の絆を描いた映画「硫黄島からの手紙」(平成18年)でも取り上げられた。多くの仲間を失った田中さんは「悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけない」と語っている。(戸津井康之)

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 「任務は硫黄島へ赴任する士官を乗せ、兵士あての家族の手紙や物資を空輸し、島に着くと、本土へ帰還する士官を乗せ、兵士から家族あての手紙を積んで基地へ戻ることでした」

 田中さんは大正11年、京都市で生まれ、大津市で育った。同志社高等商業学校(現同志社大商学部)に進学。在学中の昭和18年、第13期海軍飛行予備学生に志願し海軍へ入隊した。三重県の三重海軍航空隊、鹿児島県の鹿屋海軍航空隊などで操縦士となるための訓練を受けた。

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