今でも語り草になる3つの名実況 五輪中継語録

【いだてん外伝】

 1964年の東京オリンピック開会式のテレビ視聴率は、NHKと民放を合わせて84・7%、競技の最高視聴率は「女子バレーボール決勝」の66・8%(NHK単独)だった。この数字は、日本テレビ史上に記録として残る。昔も今も、スポーツアナウンサーにとっては、オリンピックは、目も眩むような「夢舞台」である。

 女子バレー決勝のテレビ中継で、あと1点で日本優勝というときに、それを「金メダルポイント」と表現したNHKアナウンサーは鈴木文弥だった。相手(ソ連)も粘って、都合それは6回使われたが、その間、ブラウン管の前の私たちは、初めて聞くその言葉にむやみに興奮した。見事な「造語」だった。

 このほか、体操競技で使った「ウルトラC」も自分の造語だと、鈴木から聞いたことがある。

 オリンピック中継語録として有名なのが、いわゆる「前畑頑張れ」放送だろう。これは、36年のベルリン五輪の女子200メートル平泳ぎ決勝で、前畑秀子が日本女性初の金メダリストになった。この中継担当アナウンサーは河西三省(さんせい)。最後の50メートル、河西は「頑張れ」を24回も絶叫した。そして、決着がついた後、「(前畑)勝った」を18回連呼した(=NHK取材班・編『その時歴史が動いた 第5巻』中央出版より)。

 「これじゃあ、3位以下がまったく分からない」とか、「極端な応援放送だ」という批判もなくはなかった。でも、83年前のこの放送は、今でも語り草になる「名物放送」ではあった。

 私の後輩アナウンサーも、きちんとした足跡を残している。

 例えば、工藤三郎は、98年の長野冬季オリンピック、スキージャンプ個人ラージヒルの原田雅彦の2回目の中継をした。実は、工藤は前回リレハンメル冬季オリンピック(94年)の団体戦で、原田のまさかの2回目の大失敗ジャンプで、日本が金メダルを逸したシーンを現地で目の当たりにしていた。

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