規模・形で権力構造を示した百舌鳥・古市古墳群

 世界文化遺産への登録が決まった百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群は、仁徳天皇陵古墳(大山=だいせん=古墳、墳丘長486メートル)など全国の巨大古墳ベスト10に5基が入り、中国の歴史書に「倭(わ)の五王」と記された大王らの墓とされる。前方後円墳を中心に、古墳の大きさや形で政治・権力構造を示した古墳時代の最盛期にあたり、古代の国の成り立ちを示すシンボルとなっている。

 古墳時代は3世紀ごろ大和(奈良)を中心に始まり、百舌鳥・古市古墳群が形成された4世紀後半~5世紀は和泉・河内(大阪)の勢力が主導権を握ったとされる。中国や朝鮮半島との外交が活発になり、内陸にあった大和より、大阪湾に近い和泉・河内勢力の重要性が高まったためだ。

 当時の前方後円墳の分布状況から、岩手県南部から鹿児島県までを勢力下に治めていたことがうかがえ、「倭国」と呼ばれた。中国の歴史書には、倭の王が5代にわたって中国に朝貢したと記され、百舌鳥・古市古墳群の被葬者が倭国を統治し、外交を行ったという。

 同古墳群の特徴は、墳丘長が数百~数十メートル規模まで大小さまざまあり、墳形も前方後円形や帆立て貝形、円形、方形とバラエティーに富むことだ。福永伸哉・大阪大教授(考古学)は「巨大前方後円墳は大王、周囲の中小規模の古墳は大王を取り巻く近親者らの墓で、墳形の違いも階層差を示している」と指摘する。

 日本の国家成立は、天皇を中心とする官僚制度を律令(法令)によって整備した飛鳥時代(7~8世紀)とされるが、福永教授は「百舌鳥・古市古墳群が築かれた頃は、その前段階。国家成立の過程を示す古墳群は人類にとってかけがえのない歴史遺産」と評価。「1600年間、良好な状態で残された古墳群を、500~千年後まで伝えるのが現代人の役割」と話す。

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