東京国立近代美術館「高畑勲展」 アニメ史に刻んだ創造の足跡

 日本アニメ史に名を刻んだ巨匠がどれだけ苦悩し、新たな表現を切り開いてきたかが伝わる展示だ。東京国立近代美術館(東京・竹橋)で開催中の「高畑勲展-日本のアニメーションに遺(のこ)したもの」は、半世紀以上にわたりアニメ界を牽引(けんいん)した高畑監督の初の回顧展となる。懐かしい名作の設定資料や絵コンテなど1千点超を公開し、その多くが新発見だという。(本間英士)

 常に新しい作画

 展示は高畑監督の生前から企画されていたが、昨年4月の急逝を受けて回顧展の意味合いを持った。自宅の遺品から段ボール18箱分の制作資料が見つかり、同館などが精査。同館で漫画・アニメ関連の展示が行われるのは、平成2年の「手塚治虫展」以来となる。

 演出助手時代の「安寿と厨子(ずし)王丸」(昭和36年)から、遺作となった「かぐや姫の物語」(平成25年)までの資料展示は主に4章構成。(1)制作を始めた1960年代(2)70年代の名作テレビアニメ(3)80年代以降、舞台を日本に据えた作品(4)新たな描法に挑んだ「かぐや姫の物語」-などとなっている。

 高畑監督はアニメ史の中でどのような存在だったのか。同館の鈴木勝雄主任研究員は「戦後日本のアニメーションの形式や文法を作りあげてきた“革新者”だった」と総括する。

 「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」では、衣食住や自然との関わりを丹念に描写。子供たちの日々の暮らしを生き生きと描いた。その後、日本を舞台にした作品に特化。「おもひでぽろぽろ」「平成狸(たぬき)合戦ぽんぽこ」など、日本の風土や庶民の生活をつぶさに表した作品を制作した。

 「かぐや姫の物語」では従来とは全く異なる絵柄を採用。最新のデジタル技術を駆使し、スケッチの線が持つ荒々しさや力強さを生かした描法に挑戦した。鈴木さんは「同時代のアニメとは異なり、アクションやファンタジーに頼らずに豊かな人間ドラマを完成させた。常に新しい作画を作り続けた」と語る。

 衝撃的アイデア

 これらの功績は一朝一夕に成し遂げられたわけではない。作品の世界観を思索したメモやノートには、何度も書き直し、模索を繰り返した痕跡が見える。

 スタジオジブリの盟友・宮崎駿(はやお)監督とは異なり、自分では絵を描かなかった高畑監督。初監督映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」では、物語の盛り上がりの起伏をグラフで図案化した「テンション・チャート」や登場人物の相関図などを書き、チームの意思統一に心を砕いた。

 脚本・監督を務めた「火垂(ほた)るの墓」の場合、野坂昭如(あきゆき)さん(1930~2015年)の原作小説を切り張りしてノートに再構成。そこにアイデアを記したメモやセリフの素案を加えるなど、原作と格闘した跡が垣間見える。「竹取物語をいかに構成するか」というレポートでは、翁(おきな)がかぐや姫を永遠に自分のものにするため刺し殺し、その後自分も死ぬという衝撃的結末のアイデアも記されている。

 宮崎監督と共作

 新資料には驚くべき発見もあった。例えば、昭和35年ごろ、20代で書いたメモ「ぼくらのかぐや姫」。所属する制作会社が募集した竹取物語のアニメ化企画に際し、アイデアを書き留めていた。そこには「絵巻物をよく研究して、その描法を生かすこと。特にトレス線を活用」などと記されており、半世紀以上後に制作された「かぐや姫の物語」を予期させる内容だった。

 鈴木さんは「『全てはかぐや姫から始まった』と言ってもいい内容で、われわれも驚く大発見。若くして総合芸術としてのアニメを作ろうとした高畑さんの意欲が伝わる」と語る。

 このほか、高畑監督が珍しく自ら描いた「ペリーヌ物語」の絵コンテや、「ハイジ」で宮崎監督と共作した絵コンテも公開。高畑作品に共通する奥深さの理由が腑に落ちる展示だ。

 10月6日まで。月曜休館。一般1500円。問い合わせはハローダイヤル03・5777・8600。

【プロフィル】高畑勲

 たかはた・いさお 昭和10年、三重県生まれ。東大仏文科卒。34年、東映動画に入社。43年、「太陽の王子 ホルスの大冒険」で映画初監督。退社後、テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」などを手掛けた。60年、宮崎駿監督らとスタジオジブリを立ち上げ、映画「火垂るの墓」「かぐや姫の物語」などを発表した。平成10年、紫綬褒章。30年4月、82歳で死去。

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