あと1日、終戦が早ければ… 大阪・京橋駅空襲で慰霊祭

 終戦前日の昭和20年8月14日に数百人の命を奪った「京橋駅空襲」の慰霊祭が14日、大阪市城東区のJR京橋駅構内で営まれた。令和になって初の慰霊祭となり、遺族や地元住民ら約380人が参列して犠牲者の冥福を祈った。

 74年前のこの日、米軍のB29爆撃機が大阪城の敷地内にあった陸軍兵器工場「大阪砲兵工廠」を爆撃。近くの国鉄城東線(現JR大阪環状線)京橋駅周辺にも1トン爆弾が数個、落とされた。

 身元が確認できただけで200人余りが死亡し、身元不明者を含めると500人を超える人々が犠牲になったとされる。

 この日の慰霊祭は、台風10号が接近した影響で、例年営まれている京橋駅前の慰霊碑前から駅構内に会場を移して開催。読経の中、参列者らは焼香して手を合わせ、犠牲者を悼んだ。

 当時、京橋駅近くの郵便局で働いていた四條畷市の山本マスヱさん(95)は、配達員ら多くの同僚や砲兵工廠で働いていた知人を空襲で失い、横たわる多くの遺体をよけながら線路伝いに家に帰った。翌日、ラジオで玉音放送を聞き、周囲の人が「戦争は済んだんやで!」と教えてくれたことが忘れられない。

 慰霊祭には毎年訪れており、この日は2人の孫と参列。山本さんは「あと1日終戦が早ければ、京橋でも多くの人が亡くならずに済んだ。戦争は命の取り合い。もう絶対にしないよう、長生きして子や孫に伝えていきたい」と力を込めた。

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