万博はオワコン? アメリカ館「月の石」に代る目玉は

 東京五輪の5年後に当たる2025年、大阪市の人工島、夢洲(ゆめしま)で大阪・関西万博が開催される。国内では過去2回大規模な万博が開かれ、中でも6400万人が来場した1970(昭和45)年の大阪万博は成功体験として語り継がれるが、日本国際博覧会協会のトップは「70年万博からの脱却」を唱えている。米ソ冷戦を背景に宇宙開発で国力を誇示し合った時代とは世界情勢は変貌。インターネットサービスの基盤(プラットフォーム)を持つ巨大IT企業が国家の枠を超えた存在感を示す現在では、万博の主役も見せ方も当時と違ったものとなりそうだ。(安田奈緒美)

■70年万博、人気双璧の米ソ館

 「当時、日本には高度経済成長期の追い風があり、国際的にも米ソ冷戦時代で各国が万博で国力を競った側面がある。70年万博の成功体験からの脱却という位置付けでやらなければならない」。日本国際博覧会協会の事務方トップ、石毛博行事務総長はこう力説する。

 「人類の進歩と調和」をテーマにした70年万博は、米ソの大国を枢軸とした冷戦下での開催だった。国家の威信は、宇宙開発の展示に投影されていた。

 万博の記憶を受け継ぐ代名詞になっているのがアメリカ館の「月の石」だ。69年に人類初の有人月面着陸を果たした米国。アポロ宇宙船が持ち返った実物の「月の石」をひと目見ようと4時間以上という待ち時間の長蛇の列ができた。

 ソ連館ではソユーズやボストークといった宇宙船の実物が展示され、1日平均で十数万人が訪れた。壁面が赤で彩られたソ連館の展示棟は最高部109メートルで、会場随一の高さ。「世界最初の社会主義国家の誕生」をテーマにしたソ連の指導者、レーニンを紹介する展示もあった。

 パビリオンの人気は、米ソ両陣営がまさに二分した。

 70年万博の来場者数は6421万人で、2010年に上海万博に抜かれるまで万博史上最多。当時の大混雑ぶりはデータからもうかがえる。会期中の迷子は、延べ4万8139人で、1日当たり250人以上も、親とはぐれた子供たちが出現したことになる。落とし物(拾得物)は5万4154件、救急患者は1万1354人に上った。

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