「天国でも囲碁を打って…」 小川誠子六段のお別れ会

 昨年11月15日に68歳で死去した囲碁棋士の小川誠子(おがわ・ともこ)六段のお別れの会が17日、東京都内のホテルで開かれた。にこやかにほほ笑む小川六段の写真が飾られ、赤や白色の花で彩られた祭壇に、参列した多くの棋士や関係者はピンクのカーネーションを献花し、別れを惜しんだ。

 昭和26年に福井市で生まれた小川六段は、有段者だった父や祖父の姿を見て6歳のときに囲碁を始めたという。すぐに上達し40年、女流アマ選手権戦で優勝。中学2年生らしい髪形から“おかっぱ本因坊”と呼ばれ、かわいがられた。この優勝がきっかけで誘われた木谷実九段の道場で、中学卒業と同時に本格的にプロを目指すように。

 しかし、小林光一名誉棋聖(67)や趙治勲名誉名人(63)らレベルの高い者同士が競う場では思うような結果を残せなかった。そんなとき、木谷九段に相談すると「『勇気を出しなさい。自分が怖いときは、相手も怖いと思っている』と言われたのが、あとにも先にも唯一のアドバイスだった」との逸話が紹介され、「打つのは楽しいんだけど、勝負がつくのがつらいなと思って、囲碁が好きじゃないときもあった」との生前インタビュー映像も場内に流された。

 45年にプロ入りすると、54年から女流選手権戦を連覇、61年に女流本因坊奪取などタイトル獲得は4期。女流名人戦でも3度挑戦者になり、平成20年には杉内寿子八段に続き女流棋士では2人目の通算500勝を達成した。

 対局で活躍する傍ら、囲碁普及にも力を入れた。昭和59年からはテレビ番組のNHK杯トーナメントの聞き手役を10年にわたって務めるなど、ファンに親しまれる存在に。各種のアマチュアの大会では審判長などを引き受け、対局を温かく見守った。

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