二十歳のころ 小池百合子氏(3) 第4次中東戦争…路面電車で恐怖体験

 留学2年目、二十歳となった1972年の10月、晴れてカイロ大文学部社会学科に入りました。アラブの名前は、父や祖父など最低3つのファーストネームが並びます。「ユリコ・コイケ」と書類に記入すると、「短すぎる」と駄目出しされ、父の名を挟んで「ユリコ・ユージロー・コイケ」で登録しました。卒業証書にも「ユージロー・コイケの娘であるユリコ・コイケ」と記されています。

 カイロ大は学生数が当時約8万人。授業も500人ぐらいの学生で階段教室が満杯です。皆、教授の講義を速記者のようにアラビア文字で書き取ります。聞き取りにも苦労する私は、同級生から借りたノートを写しました。アラビア語の筆記体はわかりにくく、1ページ写すのに何時間もかかります。大変な作業でした。本当に勉強しました。

 それでも1年目は、アラビア文学などの教科で落第。日本に来た留学生が「古事記」や「万葉集」を学ぶようなものです。「ジャーヒリーヤ」という古文は、砂漠での心理描写などもあり、チンプンカンプンでした。睡眠も毎日4、5時間。部屋に「寝るな、頑張れ!」という紙を貼り、机の下に水を入れたバケツを置いて、眠くなると足をつけるなど工夫しました。気化熱ですっきりするのです。エアコンはもちろん、扇風機もありませんでしたから。

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