憲法改正への情熱…生涯衰えず 中曽根氏合同葬

 柔和な面持ちの遺影の前に並んだ勲章の数々が、半世紀以上に及ぶ政治家人生の重厚さを物語っていた。17日の中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬。開式前に映像で「一貫して憲法改正などを訴えた」と紹介されたように、とりわけ生涯のテーマに掲げた改憲への意欲は最後まで衰えることがなかった。

 昭和16年に東京帝大を卒業後、内務省に入り、先の大戦は海軍の一員として迎えた。終戦後の昭和22年の衆院選で初当選。若き国会議員にとって、焦土と化し、占領下に置かれた祖国の再建と独立が大目標となった。

 「この憲法のある限り、無条件降伏続くなり、マック憲法守れとは、マ元帥の下僕なり」。日本再興への思いを「憲法改正の歌」(昭和31年)の歌詞に重ねたこともある。マッカーサー連合国軍最高司令官のもと、米国主導で制定された憲法を、日本の文化や歴史がかおる最高法規へと改めるべく執念を燃やした。

 とはいえ、5年近い長期政権下では行財政改革を優先し、改憲に触れることはほとんどなかった。議員引退後の平成16年に出版した共著『憲法改正大闘論』では「やむをえなかったとはいえ、ここは私も反省している」と率直に語った。

 挽回するかのように、晩年は一層、自民党の新憲法起草委員会の「前文」小委員長や「新憲法制定議員同盟」会長として精力的に憲法改正を後押しした。

 遺志を受け継いだ衆院議員で孫の康隆氏は「一緒にカラオケに行くと、祖父はお酒を飲みながら『憲法改正の歌』をよく歌っていた。今も改憲の動きを関心深く見守っていると思う」としのんだ。

 (内藤慎二)

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