稀勢、先代師匠・隆の里の「偉大さ実感」 腰高は相変わらず、今後の課題に

 改めて思う。稀勢の里と先代師匠(元横綱隆の里=故人)。この師弟は本当によく似ている。

 年6場所制となった1958年以降、新横綱の優勝は稀勢の里でわずか4人目。そのうちただ一人全勝優勝を果たしているのが隆の里だ。

 稀勢の里は優勝決定後、NHK『サンデースポーツ』に生出演すると、「先代は全勝優勝ですから。自分でやってみて、改めて先代の偉大さを実感しました」と感慨深げに語った。

 稀勢の里に力士としての基礎を叩き込んだ先代師匠が、現役時代の1983年秋場所で横綱に昇進した際、希望したのは雲竜型の土俵入りだった。しかし当時は、横綱の北の湖も千代の富士も雲竜型。師匠で“土俵の鬼”の異名を取った二子山親方(元横綱初代若乃花=故人)は「お前がやらなければ、不知火型が途絶える。これは大相撲界のためだ」と半ば強制的に不知火型を押し付けたが、実は理由はもう一つあった。

 師弟はよく似るというが、先代師匠も稀勢の里同様、腰高だった。さらに横綱昇進まではここ一番の大勝負に敗れることが多く、精神面の弱さを指摘されていた。

 不知火型の土俵入りは、せり上げるときに深く腰を折るため、腰高の矯正になる。

 「これはお前にぴったりの土俵入りなんだ」と二子山親方は先代師匠を説得。先代師匠が新横綱で全勝優勝したとき、「ほうら、オレの目に狂いはなかっただろう」と胸を張った。

 稀勢の里は逆に、雲竜型を選択。日馬富士の突進をまともに受けて大けがを負った13日目といい、土俵際まで追い込まれた千秋楽の2番といい、腰高は相変わらず。来場所以降に課題を残したともいえる。

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