“会社なら当たり前のこと”をすればうまくいく--フェンシング太田雄貴が挑む「スポーツ業界の健全化」

 --全日本選手権の改革に最初に取り組んだのは、どのような理由からでしょうか。

 とてもつらい思いをした1枚の写真があります。それは14年に代々木体育館で開催した、全日本選手権決勝戦での写真です。ロンドンオリンピックのメダリスト2人が戦っているのに、客席には2、3人しか観客が写っていません。500くらいの客席が写っているのですが、本当にガラガラです。実は、こういう状況がずっと続いていました。

 --なぜ決勝戦に観客がいなかったのでしょうか。

 当時、フルーレ・エペ・サーブルという3つの種目をそれぞれ1日で開催していました。朝から始まって、最後に決勝戦をします。すると、出場する選手、コーチ、家族などが集まる朝の時間帯は会場が埋まるものの、試合が進むに連れて、負けた人が後の試合を見ずに帰ってしまうのです。決勝戦のころには、フェンシングを見たいという人が少しいるだけという状態になっていました。

 加えて、チケットが売れないという問題もありました。チケットはインターネットで販売していましたが、当時は発売が試合の1週間前でした。ギリギリまでスポンサー探しをして、協賛のロゴなどをポスターやチケットに入れなければならないため、1週間前にしか発売できなかったのです。でも当然それでは売れません。当時協会の役員をされていた先輩方は、かなり苦労していたと思います。

アクセスランキング

もっと見る

ピックアップ