渋野日向子の母・伸子さんに聞いた「シンデレラ」誕生のターニングポイント 中学時代、野球部監督から「ゴルフ1本に絞った方がいいのでは」

緊急連載 渋野日向子スマイルのルーツ

 ゴルフの「AIG全英女子オープン」で、日本勢42年ぶり2人目のメジャー制覇の偉業を成し遂げた渋野日向子(20)=RSK山陽放送=は、学生時代にやり投げの選手だった母・伸子さん(51)と、砲丸投げや円盤投げで活躍した父・悟さん(51)との間に生まれた3姉妹の次女。故郷・岡山を訪ね、まずは伸子さんを直撃した。

 

 「日向子はスポーツテストの成績もよかった。何かやらせたいなと思っていました」と伸子さんは振り返る。

 飽きっぽい性格だった渋野が初めてゴルフクラブを握ったのは、小学2年。友人の父親がゴルフ練習場のコーチをしていた縁だった。

 「あの頃のゴルフ界は石川遼さん、宮里藍さんフィーバーで、誘っていただいた。練習場ではとにかく打つ。飽きっぽい子なのに1時間ずっと打ち続けたんです」。続ける意思を尋ねると、「やる」と子供ながらに決断したという。

 一方、今でも大好きなソフトボールも、同じ小学2年の秋、幼稚園からの同級生の父親に誘われて地元・岡山の平島スポーツ少年団ソフトボール部に入部した。

 「『足が速くて、体を動かすのも好きだね。ソフトやる?』と。実はソフトもゴルフも、声をかけてくれたのはともに平島スポーツ少年団出身の、同級生のお父さん。指導していただいた岩道(いわどう)博志監督もゴルフをされていた。そんな縁もあり、2つのスポーツの両立ができるよう、皆さんが考えてくださった」と伸子さん。

 中学進学後は軟式野球部に入部し、ゴルフとの二足のわらじを履いたが、岡山県ジュニアゴルフ選手権(中学生の部)で2年連続優勝。朝練は野球、午後はゴルフという生活には、徐々に無理が生じてきた。

 「それでも、野球部に入りたいと言ったのは日向子。自分から辞めたいとは言い出せなかった。それを察知していただいたのか、野球部の監督さんに『ゴルフ1本に絞った方がいいのでは』と背中を押していただき、以降はゴルフだけに。覚悟を決めた瞬間でもありました」

 当時はメガネをかけていたが、「コンタクトの方が距離感を計りやすい」と中学3年で変えるなど、真剣に「ゴルフ道」を歩み始めた。

 勝負どころでなかなかうまくいかないこともあり、苦労を重ねた。「今は毎週試合があり、気持ちをうまく切り替えながら臨んでいますが、アマチュア時代はこの試合に勝てば次のステップ大会に行けるという試合を、取れないことがあった。そこですごく悩むんです。国体に出られなかったときもそう。そこで友達と“楽しむゴルフ”を実践。これが功を奏して、その後試合にも勝てるようになった。それが大きかった」

 ゴルファーとして頭角を現す一方、大好きだったソフトボールの道を諦めた渋野。ソフトの指導者は教え子の決断をどう見ていたのだろうか。=つづく (山戸英州)

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