変容する韓国軍レーダー照射から見える「日韓関係絶望」

勝利の残像

 朝鮮半島には英雄がいる。6~7世紀、隋は高句麗遠征(高句麗討伐とも)を4度にわたって行う。第一次遠征では隋が攻めきれず撤退。第二次遠征では高句麗の将軍、乙支文徳が降伏するふりをして隋の陣内に入り、隋軍の食料補給に難があることを調べたうえで陣を脱出。退却しつつ戦うことで補給線を伸びきらせる遅滞戦術を実施した。それでも一方的に押され窮地に陥った高句麗軍は一計を案じる。軍を退けば高句麗の王(嬰陽王)を引き渡すと約束したのだ。この約束により陣を退き始めた隋軍を、乙支文徳は背後から奇襲し、ついに隋の30万人の大軍に勝利した。

 停戦協定を破り騙(だま)し討ち-。随分と昔の出来事であり、現在の韓国社会とは乖離(かいり)していると思われるかもしれないが、以降の高麗や李氏朝鮮など朝鮮民族の国家は中国大陸のモンゴルや明、清といった国家に従属していくため、隋に対する勝利は貴重な歴史として刻まれ、いまも韓国の軍艦の名前となっている。件の火器管制レーダーを照射した「広開土大王」級駆逐艦の2番艦の名前は「乙支文徳」。米軍との合同演習「乙支(ウルチ)フリーダムガーディアン」の名称にも使われている。直訳すれば「ウルチ自由の戦士」だ。

 ちなみに第四次遠征では高句麗と隋は和議を結ぶが、高句麗は朝貢を行うという和議の条件を破る。隋は国内が乱れて討伐を行えず、結果的に遠征は失敗に終わる。

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